織田信長の館
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信長の兄弟
織田信広 織田信長の庶兄。信長の兄に当たるが、庶兄に当たるため、家督の相続権はなかったらしい。信秀の死後は信長が後を継ぐこととなったので、信広は一時期、信長と対立したが、結局は信長の家臣となった。
織田信行
(信勝)
は一般に信行と流布しているが、自己発給文書では信勝、達成、信成しか確認できていない。織田信長の同母弟。末森城主。
織田信包 織田信秀の子で、織田信長の弟。兄・信長の命で北伊勢を支配していた長野氏の養子として入った。その後は兄に従って各地を転戦した。清廉な人物で、信長からの信任は厚く、織田一族衆として厚遇されたうえ、織田信忠の補佐を任されたという。
織田信治 織田信秀の五男で、織田信長の弟。兄・信長に従って、野夫城(現在の一宮市)を与えられていた。1570年、森可成と共に浅井長政・朝倉義景の連合軍と近江国坂本城で戦ったが、衆寡敵せず可成と共に戦死した。
織田信時
織田信興 織田信秀の七男で、織田信長の弟。兄・信長に早くから従い、尾張国小江木城(現在の海部郡弥富町)を与えられた。信長が足利義昭や石山本願寺など、信長包囲網に囲まれると、信興の小江木城も一向一揆衆によって囲まれ城は落城し、信興は天守で自害。
織田秀孝
織田秀成
織田信照
織田長益 織田信長の実弟で、安土桃山時代から江戸時代初期の大名、茶人。末子で、幼名は源五(あるいは源五郎)。有楽斎如庵(うらくさいじょあん)と号し、後世では織田有楽織田有楽斎と呼ばれることが多い。
織田長利 織田信秀の十二男で、織田信長の弟。津田姓を称していたため、津田長利と呼ばれることもある。1582年、明智光秀が本能寺の変を起こして兄・信長を殺したとき、長利は信忠と共に二条城で明智軍に攻められ、戦死した。